Kuro in Germany’s blog

ドイツ発クロものがたり

日本の新型コロナウィルスの報道

どうも人事のように聞こえてしまうのはどうしてだろうか。

国民はコロナの被害者? いや「当事者でしょう!」

政府は国民を守る? 仕事ですから。

小池東京都知事の切迫したメッセージも都民に「お願い申し上げる」の連発で「私の言うことを守れ!!」という彼女の願いは伝わってこない。もったいないことだと思う。 よくドイツに来たばかりの日本人が経験するのは、スーパーやデパートなどの店員の態度の悪さ。物は放り投げる、同僚の店員とおしゃべりして客を待たせる。そう彼らには「売ってやっている」感が漂い、いつの間にか我々客は「売っていただいている」感が濃くなるのだ。

それに比べて日本はどうだろう。お客さんに対する態度は慇懃無礼と言えるほど丁寧で帰国する度にそのサービス精神に感激する。しかしここに来て、どうも国民に伝わらないコロナの感染拡大の危機。これは政府にしても自治体にしても国民をお客様扱いにしているからのような気がする。もしかしたらそう聞こえるだけなのかもしれないが、違和感がある!! ドイツ人の危機管理は個人に染みとおっているが日本人は個人としての危機感は持っておらず、国も自治体も国民に拝み倒しているとしか聞こえてこない。だから 7割・8割の3蜜の自粛が全国に徹底して広がらないのではないだろうか。 ドイツの公立ギムナジウムの高等部で20年間教鞭をとってきた筆者は日本語の乱れにその原因があるように思う。「日本語の美しさ」は時代を駆け抜けていくうちに自己を表現する方法を伝えきれずにきているのではないだろうか。しかし研究者でまだこの点に警鐘を鳴らす人はいないようだ。